究極のアンチエイジング❣️(一食システム)
今週のお題「部活」。
帰宅部でした。
学生時代の部活よりも、楽しく続けられているものが今はある。(強引にお題に持っていきます)
それはファスティング。(ご存知の方も多いと思いますが、ファスティングとは断食のことです。断食といっても私は一日一食のプチ断食です。本格的な断食ではありません悪しからずご了承を)仲間からの助言により一日一食に。かれこれ三年目に入りました。まず、なんで私が一食を始めたか、を書いてから一日一食にして良かったところをお伝えします。
三食摂って身体へエネルギーを補給するという身体に良いことをしているのに食後怠くなり、そして避けたかった眠くなるという事実。なんかおかしいなぁ、良いことしているのに、、友人にそれを話すと、消化には大変なエネルギーを使っているから食べるたびに眠くなるんだよ、と。〔だから三食なら三回眠くなるという理屈、らしい、、、〕
更にその友人が一日一食という健康法があるよ、と。聞いた時はなんだそりゃと初めは思いました。一食って栄養失調でフラフーラになるんじゃないか、倒れるんじゃ、などと、マイナスな事を想像しました。
結果、杞憂でした。
もう端的に一日一食にして良かったところをドバッと羅列します。
○口に入れるものに意識的になった
○頭が冴える❗️集中力の持続
○究極のアンチエイジング❗️
それぞれを順々に書いていきます。
『口に入れるものに意識的になった』
どういうことかというと、一食で栄養を摂る訳だから肉ばかりで終わったらバランスが悪いな、野菜を摂らなくちゃ、添加物多めのコンビニの弁当じゃダメだな、、、などなど『一食しか摂らないわけだから』という意識がはたらきはじめました。はじめた頃は、好きなものをガッツリご褒美と称し食べていました。カレー、トンカツ、ハンバーグ、などを食べていました。ズバリ偏食です。1日頑張った自分へのご褒美だ、という思いがもの凄く強くありました。日が経つにつれ、ん、なんかちがう、これじゃないという違和感が生まれてきたのです。一日一食だから栄養とバランスを否が応でも考え意識的になったということです。
『頭が冴える❗️集中力の持続』
エビデンスの記事を読みましたが、空腹は頭のデトックスもしているとのこと、集中力の持続が出来るようになったと自覚しているのはこの影響でしょうか。頭の中がクリアになったような、、、以前、ジャーナリングを書いたブログでも集中力を書きましたが、ジャーナリングが集中力の鍛錬になっている部分は勿論有ります。今思うと実は一日一食システムが集中力を持ってきてくれたのかな、と感じています。
『究極のアンチエイジング❗️』
ご存知の方も多いと思いますが、ファスティング(断食)はサーチュイン遺伝子を活性化させるといわれています。このサーチュイン遺伝子は何かというと別名からも明らかですが、ズバリ若返り遺伝子、長寿遺伝子なんです。
では何故ファスティングがサーチュイン遺伝子を活性化するのか、、、
古代から人間の身体は食べ物にありつけない飢餓状態がしばらく続いても、生命を維持する言わば絶体生命維持装置のようなものがあり現代まで生き残れた。
その絶体生命維持装置をオンにすることがサーチュイン遺伝子〔若返り遺伝子、長寿遺伝子〕を活性化させるのです。
だから、飢餓状態を敢えてつくり若返り遺伝子を活性させた結果、アンチエイジングになるという理屈です。つまり、空腹状態でないと若返り遺伝子は働いてくれないということです。
(さらに女性には特に嬉しいと思いますがお肌の調子も腸内環境も良くなります。これは医学的エビデンス付きです。私は快腸を実感しています。)強引にまとめます。
一日一食にしてみて、以前からあった健康法はしっかり三食食べること、三食食べなければ身体に良くない等々な洗脳、刷り込みがもの凄く強くあったと感じました。勿論食事は生きていく上で欠かせません。(ですが、一日たいして身体を動かさないデスクワークで三食は多かったと感じました。)私は医療関係者ではありませんが、飢餓状態を作ることは悪くないと感じ、むしろ私は良いことだらけ、メリットたくさんです。ズバリ身体の調子が良くなったと体験的に強く言えます。やらない理由が無くなりました。一食にすることにより、疲れている内臓を休ませることになるのではないか。同時に身体が要らないものを排除、言わばデトックスしている感覚も出始めました。
(後日調べたら↑これも医学的エビデンスがありました。)
たまたま一日一食システムが自分に合いました。シンプルでカンタン、しかもコスパ良し、なところも気に入っています。
究極のアンチエイジング、と言えます。
思うのは誰にでも効く万人向けの健康法は無いんではないかと。だから、人によって二食でも三食でも良いと思います。
私はたまたま一食が自分に合いました。逆に自分の身体や生活リズムに合ったものであれば何でもいいんですよね。本当に何でもいい。🎊
タランティーノの映画愛(ネタバレ有り)
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を鑑賞。
(ネタバレというか、10本ぐらい前のブログで、感想を書きますと予告していたのと、私のタランティーノ愛を語った流れもあったことで投稿。それと私のブログはオチが無いと言われますが、今回はオチもなにもタランティーノだけです。 )
映画そのものは、毎度なことながら彼の映画愛、過去の作品へのオマージュ、監督たちへのリスペクト、そして映画という芸術様式を途轍もなく愛していることがこれでもかってぐらい詰まっていた。私も映画そのものも、映画という芸術様式も好きです。もっというと、やっぱり映画館が好きだし映画館で映画を観る行為が大好きです。
さて、「ワンス・アポン・ア・タイム〜」のざっくりな内容は、
ディカプリオ演じる落ち目の俳優リックと彼を公私ともに支えるブラピ演じるスタントマンのクリフのお話。
時代設定はタランティーノの幼少期の多感な時代を過ごした1960年代のハリウッド。テレビや映画やラジオ、風俗、街並みも往来する車も当時のものに超再現し、ハリウッドの変遷やシャロンステート事件をフィクション的に導入して1969年の8月のある三日間を切り取った。(ちなみにシャロンの事件から一週間後にあのウッドストック開催だったらしいです。)
時はながれてゆく。時代が変わっていくのを受け入れていかなければならない。過去の自分と変わっていかなければならないと考える今の自分。
時代や対象はもちろんちがうが誰もが通過するであろう戸惑いと葛藤。そして人生の選択、、その時間、、、を感じました。
161分があっという間だった。タランティーノは今回も良い意味で観客に対して迎合していなかった。作りたいもの、入れたいものがいっぱい詰め込まれている。そこをどう捉えるか、ですかね。
難しいこと抜きに、
映画は自由で映画は監督の頭の中だ。
そして、映画は娯楽である。
ワンス・アポン・ア・タイム〜というから昔、昔のおとぎ話、、まさに映画的表現かと。
誰にでも薦められる映画ではないかもしれない。感想はいろいろだし、人それぞれだし、映画に何を求めているのかもそれぞれですね。私はタランティーノの映画愛が好きなのだ。オタク満載、ウンチクたっぷり、映画渉猟履歴を映画という芸術様式でわがままに表現することが好きなのだ。今作が9作目。次回10作目の記念碑的作品を首を長くして待とう。
「夏だから」で、片付けられます。
今週のお題「夏を振り返る」
夏はいろいろあった。夏らしいことをやれた。
また一方では夏休みの課題をあれこれ考え計画を立てたが、結果半分もこなせかった。が、収穫があったから良しとしている。
お題とずれますが、
夏はズルい、という話を少し。
夏は何だろう、なぜか、うまくいかなかったりしても、他人の行為も、あたまの中も、
「夏だから」で片付けることが出来るような気がしてならない。(あくまでも好意的な意味ですよ)
そう考えると夏は季節の中でも多くの人から良くも悪しくも優遇され、愛されている季節ではないか、と思う。
例えば、夏何かあっても帳消しまでいかないまでも、一定の同意、肯定感のようなものを得られやすいのではないかと思う。(勿論コトの大小や年齢などもあるかもしれませんが概ね)結果好意的に受け入れてもらえたり。
また、夏というのはズルくて、暑かったのに夏が終わると一抹の寂しさを感じたりする。ほかの季節ではあるだろうか。ほかの季節では感じない何かが夏にはありますね。魔力のようなものが。
夏特有の高揚感からの肯定感を飛躍させると、何かをやらかすなら「夏にやらかせ」も可能なのではないか。
結果がどうであれ「夏だからね」と肯定的に扱ってもらえる可能性が大だからだ。
ただし、四つの季節全てでコレをやるときは注意が必要だ。なぜなら季節それぞれ高揚感、肯定感は違うし、テンポやトーンがばらばらだからだ。
夏ほどにインパクトはないかもしれないが、夏の次に季節をまるごと好意的に堪能出来、肯定が得やすいのは春かな。
「春だから」が可能だ。
(もうこの際四の五の言わず好意的に一年じゅう森羅万象全て愛しちゃうのも有りだな笑笑)
お題の「夏を振り返る」に戻る。
振り返っから、夏が持つ高揚感肯定感を感じることが出来た。\(//∇//)\
身体という乗り物
今週のお題「わたしと乗り物」
乗り物。
ワクワクします。
自転車、バイク、車、新幹線、飛行機、、このあたりが一般的なイメージですね。
でも、こんな風に思ったりもする。
究極を言えば我々は身体という乗り物に乗っている。身体が乗り物という表現が好きなので書いてみました。
またちがうところから考えると、飲酒が好きな私は脳と身体をアルコールという乗り物に任せていたりもする。言わばアルコールがドライブしているのかも。酒類や量や誰と乾杯かでドライブ全体、雰囲気が変わる様もおもしろい。
一般的な乗り物のイメージの中では
新幹線が好きです。
台湾へ行った際も新幹線に乗る事が一つの目的だった。日本初の輸出用新幹線ということもあり私のテンションは激しく上がっていた。(少々乗り鉄の気がある)せっかくなのでグリーン車に乗りましたが快適で快適で参りました。
スタッフ(売り子さん?)の女性のおもてなしの心、行き届いたサービス と言葉遣いに感激しました。そこも全部入れて新幹線がやっぱり好き。
身体には三つの乗り物がある
先ず身体という毎日コンディションがちがう乗り物に乗る。これが一つ目。
二つ目はその上に選択自由の飲酒という乗り物があって、
そして三つ目は移動手段の新幹線(例えば新幹線ですが、飛行機も同様ですね)に乗っている。すなわち多い時は、三つの乗り物に乗っていると言えます。三つですよ凄いですよね。
三つの乗り物に乗るという贅沢。
また、この例でいうと乗り物に乗っていない日はないとも言えます。ならば、少しの移動はもちろん、三つの乗り物に乗る旅行も全部いちいち楽しみたい。
乗り物に乗り続けていたい。
私は散歩が趣味ですが、散歩にしても身体という乗り物が連れて行ってくれているわけですね。
その身体が風邪などでコンディションが悪いと全キャンセルとなったりします。
先ず身体という乗り物を乗りこなしてはじめて、あと二つ、三つの乗り物を楽しめるとも思ったり。
たがら身体という乗り物を大事にしたい。
いつまでも。
人生そのものが夏休み
今週のお題「夏休み」。
夏休み。
なんていい響きだろうか。魅惑的過ぎてくらくらする。大好きな夏休みから連想すると海だったりするんだが、海は前々回書いたのでちがうものを。
夏休みつながりで私のあるSNSのアカウント名について少し。
あるSNSのアカウント名を
『『人生そのものが夏休み』』にしている。
ポイントは、人生まるごと全部が夏休み、であるところ。ただの夏休みだと、ある期間とか限定的時間の終わりがある夏休みになってしまう。この名前は小学生時代夏休みがあっという間に終わってしまうあの一抹の寂しさを味わいたくないずーーーと夏休みがいい(小二病?w)、から来ています!
更に思うのは、自分を解放して人生80年まるごと終わらない夏休みにしてこの地球リゾートを楽しめ!なのである。
毎日うまく行かないことやイライラすることなど、いろいろある。それが全部夏休み中の出来事だとするとみんな些末なこと、こと、ことに思えて許せる。(仕事も人間関係も夏休みの宿題の壮大な自己成長ゲームなのかもしれないと思える。)楽しむというのは、視点を変えたり精神的に余裕があったりしないとなかなか出来ない時もある。私はお陰様でここ数年、タイトルに追い付けそうではある。
タイトル先行、名前先行で良かった。ん?この話を広げるとアファメーションのようなことになるから、それはまた別の機会で書くことにする。
話しは夏休みにもどる。
さて、リアルな来月の夏休み前半のワクワク計画。お陰様で正月休みより長い日程を奪取。
前半は親友と起業に向けての打合せ(第二回目)を羽田空港でやる予定。空港を選んだのは親友だ。第一回目の打合せで空港へ行ってみると想像を遥かに飛び越えた非日常の連続でテンション上がりまくりだった。初めは、え?空港?っと思ったが、着いてみるとすぐさま親友の選択に感激感嘆し第二回目の打合せも空港でやることをお願いした。
夏休みから少し脱線このまま空港の話を少し。空港は当然旅に出る人、旅から戻ってきた人などなどで人間ウオッチングに最適だし、各カウンター、数多のショップを見て回るだけでも時を忘れる。今流行りのレンタルオフィス、コワーキングスペースが完備されているし、一日中いられるように思えた。飛行機に乗らなくてもぶらりと空港へ遊びに行くのも絶対有りだ。旅行好きな人はとっくに感じて実践しているかも、、、私には盲点だった。遅ればせながら空港の素晴らしさを知ったのである。旅へ出かけたくなったのは言うまでもない。
打合せが終わったあとの、
夏休み後半のワクワク計画。
積ん読の山50冊を少しでも消化することと、ネトフリで映像映画三昧。
ただ漫然と漠然と読書をしない。
優先順位を決めリストアップして読む順番を考えるのだ。コレがもう楽しい作業なわけなのです。もう今からワクワクしております。夏休みだから読書感想文を書くつもり。
夏休みから連想するものにキャンプもあるなぁ。キャンプしていないなぁ。コレを読んだ関係者がキャンプを計画してくれたりしてw
キャンプと言えばフジロックに夢中になっていた時期もある。(フジロックへ行かれたことが無い方は是非参戦してみて下さい。アーティストも大事ですが、ロケーションが超絶最高なんですょ🤗)フジロックは過去七回ともホテルが取れなかったことありテント張ってキャンプを楽しんだ。もうかれこれ八年フジロックへは行っていない。今年はどうだったのだろう。今真っ最中のタイミング。ケミカルブラザーズ、レッチリ、これだけで行く価値は私にはある。最近はフジロックの優先順位が下がっていて今年もパスした。チケット代が上がってしまったこともその理由。
いつか気の合う仲間たちとフジロックへ行きたい。もう大人だからキャンプとホテルの両方の良いところ取リをやれればおんのじだ。キャンプはなかなかいけない。まずは来週江ノ島の友人の海の家でモヒートで夏に乾杯だな。一緒にどうですか?
海
「今週のお題」海。
いくつエピソードがあるんだろう、、
考えたことなかったけど、いっぱいありますよ海は大好きだから。
例えば、初めて買ったアメ車で舞い上がりデート先のビーチでなんとまさかの愛車マーキュリーのドアをインロックしてしまう。車に乗れない。移動できない、ドアあかない、、、困った、、、親友にすぐさま電話して私の実家へ車を走らせてもらい、(その距離、45分はかかる)私の母から車のスペアーキーを預かりビーチまで飛んできてもらったり、とか、とか、
千葉県の遊泳禁止エリアで危ない目に遭ったり、先輩たちに袋にされたりまーエピソードに事欠かない。数々の前カノ元彼女たちとのおしゃべりの場所だし、、、何回やったかわからない花火の数数数の想い出。
そんなこんなを思い出し目の前には海。波の音。見渡す限りプライベートなピーチ。JBLから流れるアーバンなchill out。この贅沢わかるかな。
いま目の前には江ノ島の海。海にはあらがえない力があると思う。その時、拡大された秒に入り込んでこんな風に考える。海は羊水だと。数多の時間、歴史が海に入っている。人、命あるもの全ての原点回帰の物語。海が羊水だとすると居心地がいいのは当然だ。
ノリで目の前に座る推定20前半の女子たち三人と乾杯する。娘がいたらこのくらい下なのかと感じるくらい若い。女子たちと笑いあい一緒に写真を撮る。
私たちを大胆にさせる海。出逢いと別れとケンカと花火とお酒の海。女の子と夜の海で一緒に花火。大量のアルコールで乾杯して朝までおしゃべりする。気がつくとその子と見つめ合いイチャイチャする。数秒後二人はどこからどう見ても恋人同士で心地いい睡眠不足を楽しみながら朝焼けの中笑いあい手をつなぎ波打ち際を無目的に散歩する。この甘い時間永遠に続いてくれ、と願った。その時は、もう鳥たちも通りかかった猫も向こうからすれ違う人たちもみんな自分たちを祝福してくれていると思える。それが海だ。海と恋愛は切り離せない。海に感謝海にありがとう。
ジャーナリングを推奨します。
今週のお題は「2019年上半期」
前半は集中力をもって過ごせたと思います。
それはジャーナリングのおかげです。
ジャーナリングを知っていますか。
知っている方もいらっしゃるかと思いますが、
簡単に言うと、書く瞑想です。
書くと頭の中がスッキリするな、なんだこゃ、、、と感じていました。
書く習慣を始めてだいぶあとになって私がしていることは、ジャーナリングというんだなと知りました。スマホで文字入力するのではなく、ノートにペンなどで手を動かして書く、肉筆がジャーナリングのポイントです。
指をうごかす、書くという動作が脳になんらかの働きをするのでしょうか。
専門家ではないのでわかりませんが。
書く内容は何でもいいんです。
例えば、今日やること、上司のこと、本の話、週末行く海の家、昨日あったこと、言われて嬉しかったこと、昨日の食事、やらかしたこと、テラハ、妄想、などなど、、書くとその時心をかき乱されていたとしても、怒りで沸騰していても次第に気分が穏やかになり、不思議と落ち着いてくるのです。
書く瞑想と言われていますが、かしこまることなく
、ただただ書く、書きなぐる、書きすてる、
ぐらいの感じで重くとらえず書くのです。
書く内容を考えないで、ただペンが思うままに。
ただそれだけです。誤字脱字でもどうでもよくて、
全部ひらがなだってなんでもいいんです。
自分だけのものですからね。
そしてジャーナリング中驚きの嬉しい発見がありました。フロー状態を経験出来たのです。
フローとは、高い集中力で目の前以外の周りが見えなくなるとか、一切の音が消え時間がゆっくりと流れているように感じる、高速で飛んできたボールが止まって見える、などなどの状態です。一流アスリートの方、将棋界など勝負の世界で活躍する人たちが口にする、
「ゾーンに入った」
「フロー状態に入っていたんです」
まさにこれをジャーナリング中に経験出来るという発見。これは大収穫。フロー状態が楽しいんです。
書く内容でいくつか。
ネガティブな内容も悩み事も敢えて書きます。
書くことで、それが小さいことに思えたり、
何でもなかった、大したことないかな、となることが多々あります。
ここで大事なのはネガティブ、マイナスの内容を
書いた時、ページごと破り捨てること。
(ノートにそのままにしていると眼に入る可能性があり、書くことでせっかく嫌なモノを断ったのに、また気分がそこに戻るのを防ぎます)
そうすることでもうその事柄から解放されたと
いう事実をつくれます。
ジャーナリングが書かれているサイトなどを見ると
朝昼晩やりなさい、三時間やりなさい、のようなものも見かけます。が、全然自分のやれる範囲でいいし、自分のスタイルにアレンジするべきだと思います。なんでもそうですが、続けることが大事なので。
私は毎朝ジャーナリングの時間を1、2時間取るようにしています。(あいだに読書もしていますが)
書くことで、悩み事、考え事を減らせ、頭が軽くなります。
それから私は執着していた自分に気がついたり、
一段階上から自分を俯瞰的に見ることが
出来るようになったと感じています。
ある意味頭の中の断捨離、浄化、最適化のようなことになっています。
これを続けて私の体感ですが、
頭の中にネガティブなこと、マイナスなことが現れることが激減しました。
これはネガティブなことを沢山書きなぐり、書き捨ててきたことで大袈裟にきこえるかもしれませんが、ポジティブしかなくなったといえます。
そうなんです、思考の癖のようなものを発見し、
思考そのものが変わりました。
合わせて、
プラスの内容をどんどんバンバン書きます。
目標を立て、目標までの進捗も書き、段取りも、〆切も全部、全部書くのです。
そうすると今どうしたら良いか、今日の1日は、
夜をどう使うか、明日は、今月は、来年は、というふうに、目標までの道のりを視覚化でき、
自然と段取りよく動けるようになっています。
視点が増えてもう気分はマルチタスク。
私がジャーナリングを始めて、一番の嬉しい効果は集中力です。集中力がつき、しかも集中している時間が長くなったように感じています。
年の終わりにお題になるだろう「2019年下半期」
も集中力を持って目標に邁進するのみです。
読んでいただき、
ありがとうございました。(╹◡╹)