everythingsgonnabealright

Everythingsgonnabealright’s blog

初めまして、言葉というコミュニケーションツールが大好きです。書くこと読むことは生涯続けていく所存であります。お付き合い宜しくお願い申し上げます。

人生は感謝だらけだ。

 学校で、ある女性から人生で一番だと言ってもいいほど猛烈にアタックされた。

一体何故このタイミングなんだ。

それはずっと一緒に生きていくと信じて疑わなかった尊敬する父が天国に呼ばれたタイミングだったのだ。言わば初めて体験する混乱の大きな津波に襲われる。父が居ないという喪失感の真っ只中女性と交際。今思うと何かを考えられる状況ではなかった。喪失感を埋めようとした、というのはそれらしいが、違う。考えることが出来ていなかった。いや、正確には考えるのが面倒になっていて目の前の流れてゆく時間を流れてゆくままにしておいたのだ。

 

その女性はバツイチで小学二年の娘の母親でもあった。バツイチや子持ちの人とお付き合いをするのは、初めてだったが、今考えても不思議なほど抵抗が無かった。たとえば水が高いところから低いところへ流れるように、とても自然に彼女と娘と私の三人の生活が始まった。たぶん家族、集合体のようなものに飢えていたんだと思う。

娘は会った初日から驚くほどに私に懐いてくれた私とお風呂に入りたい、一緒に買い物に行きたいなどなど、一日目からこんな具合だった。

父が亡くなり、いろいろ手につかないところへきて一緒に生活ができる家族が出来たことに強い喜びを感じ景色がちがって見えた。単純に嬉しかった。娘をもつ母親の彼女とはいくつかの共通点もあり、意気投合まで早かったと思う。

お酒が大好き、美味しいものを食べ歩く、音楽、そしてゴールのないおしゃべりを永遠と出来るところなどなど。二人でデート、三人でするデートの時間が始まり、彼女の家での半同棲がスタートする。もう何もかもが新鮮に映り、全て楽しかった。笑い続けていた、嘘みたいに。

が、数ヶ月して私は勤める会社から契約を更新しないという通達を受ける。このあたりから少しづつ空気が変わりはじめる。当時私は実家から車で二十分の距離にある彼女と娘が住む団地へ通う半同棲スタイルだった。間も無く無職になった私は実家に入れていた食費、彼女に渡していた生活費が払えない月が続いてしまう。

夕飯時に必ずお酒を飲む私と彼女はこのお金のこともあり次第にヒートアップしてゆく。それは当然の成り行きだ。はじめは、会話があやしい方向に行きそうになると彼女は娘を寝室へ連れて行き、寝息が出始めるとそっとドアを閉めリビングに戻り会話を再開する。しばらくは上手くいっていたこの作戦だが、そのうち娘がいる目の前で大声で怒鳴り合うことがはじまってしまった。娘の前ではどうしても避けたかった。

どうしてもだ。

口喧嘩、言い合い、言い争い、、、仲直り、セックス、、、また、口喧嘩、言い合い、言い争い

どうしたいのか、どこへ向かっているのか全く分からなくなってゆく。制御不能で、一種の催眠状態だった。

これを三年やった。

戻っては別れることを何回も何回も。

さらに二年くっついてはまた離れた。

迷った私は友人に相談する。ある友人は謝って関係を修復しなさい、またある友人はそこまで言い争いが多いのは相性が悪過ぎるから別れなさい、、

 

彼女と会うのは少しやめようと半同棲をやめ、実家に戻る。気持ちが落ち込んでるいるせいか母親との会話も以前より面倒に感じた。

 

別れてしばらくして、たとえば一週間、十日ほどすると、彼女から、まるで今までのことが無かったようにとっても明るく「あなたの好きなハンバーグを作ったから食べにこない?」「夜桜を見に行かない?」「新しいお店が出来たから行ってみない?」と連絡が入る。

今までの私たちの喧嘩が無かったことのように付き合ってまもないようにうきうきな感じで誘われる。これに応えてしまう私も私だが、愛が大きい人なんだな  、ま、いいか。こんな私を受け入れてくれているんだからと。毎回根本的な解決は後回しにしてまたまた会いに行ってしまう。このやりとりを何十回もやってしまうのだ。

 

さすがに娘には申し訳ない気持ちが常にあった。別れるが、しばらくして仲良くなってくると、今回はちがうぞ上手くやれる、と思う。

で、またまた、言い争い。

もう自分が嫌になる。お酒が増えてしまう。そのお酒はうまくなかった。

友人にまた相談する。友人は娘と結婚するわけではないのだから、そこは割り切ってお別れしなさい、と。ちがう友人は子供がいる人と付き合うという責任の重さを解っているのか!

結婚したらもっと協力し合えるかもしれないよ、と。たしかにどれも正解な気がする、そうかもしれない。な仕事が決まらない。不甲斐ない自分にもだんだん限界がきた。疲れ果て眠れない日が続き仕事も凡ミスが増える。

ある日、車を運転中信号が赤から青に変わり急いでアクセルを踏んだことで前の車に衝突。思考停止。もうだめだ。友人の勧めもあり嫌だったが心療内科へ行く。かっこ悪いとか体裁を気にする時間はとうに過ぎていた。病院の先生からは、

彼女への連絡はしない、取らない。まずは仕事を見つけお母さんと実家で生活することを第一にしましょう。そこからよく考え、余裕が出来て初めて彼女のことを考えればいい。全部いっぺんにやろうとしないこと。なるほど。

処方箋を飲みつつ就活し、やっと仕事が決まった。仕事が決まると今までのことが嘘のように気分も前向きになった。あれ?全ては仕事だったのか?、いや、お酒か?、、、

この間は彼女に会うのはやめ、会社と実家の生活だけ、友人たちと会うだけの生活を半年続けてみた。いろいろ少しづつ見えてきた。

友人たちと会いざっくばらんに話しをたくさんした。恥ずかしいが友人たちの前で全てをさらけ出し号泣した。友人たちははじめそんな自分に驚いていた。当然だよな人前で泣いたことは無い私だし。かなりの衝撃だったようだ。でもみんなすぐさま無言の同意でうなづいてくれた。

 

今思うと友人たちとの過ごした時間が良かった。

誰かの人生を背負うには未熟で早すぎだったんだと気づけた。遅まきながら、本当に遅かったけど一歩一歩進める大切さを痛感した。これを書くにも勇気がいりました。でも今は書いてすっきりしています。

彼女と娘とはお別れすることを逡巡と迷走のあげく決断しましたが、

今でも彼女と娘には感謝でいっぱいです。

ごめんなさい。ありがとう。

たった今もいつまでも変わることなく二人を応援して行きます。