「夏だから」で、片付けられます。
今週のお題「夏を振り返る」
夏はいろいろあった。夏らしいことをやれた。
また一方では夏休みの課題をあれこれ考え計画を立てたが、結果半分もこなせかった。が、収穫があったから良しとしている。
お題とずれますが、
夏はズルい、という話を少し。
夏は何だろう、なぜか、うまくいかなかったりしても、他人の行為も、あたまの中も、
「夏だから」で片付けることが出来るような気がしてならない。(あくまでも好意的な意味ですよ)
そう考えると夏は季節の中でも多くの人から良くも悪しくも優遇され、愛されている季節ではないか、と思う。
例えば、夏何かあっても帳消しまでいかないまでも、一定の同意、肯定感のようなものを得られやすいのではないかと思う。(勿論コトの大小や年齢などもあるかもしれませんが概ね)結果好意的に受け入れてもらえたり。
また、夏というのはズルくて、暑かったのに夏が終わると一抹の寂しさを感じたりする。ほかの季節ではあるだろうか。ほかの季節では感じない何かが夏にはありますね。魔力のようなものが。
夏特有の高揚感からの肯定感を飛躍させると、何かをやらかすなら「夏にやらかせ」も可能なのではないか。
結果がどうであれ「夏だからね」と肯定的に扱ってもらえる可能性が大だからだ。
ただし、四つの季節全てでコレをやるときは注意が必要だ。なぜなら季節それぞれ高揚感、肯定感は違うし、テンポやトーンがばらばらだからだ。
夏ほどにインパクトはないかもしれないが、夏の次に季節をまるごと好意的に堪能出来、肯定が得やすいのは春かな。
「春だから」が可能だ。
(もうこの際四の五の言わず好意的に一年じゅう森羅万象全て愛しちゃうのも有りだな笑笑)
お題の「夏を振り返る」に戻る。
振り返っから、夏が持つ高揚感肯定感を感じることが出来た。\(//∇//)\